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憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記

電車内でも携帯電話を使ってよい (2006-08-12)

電車内でも携帯電話を使ってよい

鉄道会社は車内での携帯電話使用を容認すべきである。

車内での携帯使用「禁止」か「容認」か

これから帰省のため電車を利用する。電車といえば毎回アナウンスで携帯電話使用の「禁止」を呼びかけられる。いい加減聞き飽きた。自分の場合、電車内で通話をしないようにしているが、他人が電話していたも特に気にはしない。

世論ではどうだろう。 電車内での携帯使用を「禁止」するか「容認」するか、社会的な合意は得られていない。容認派は、次の点を根拠に容認を主張している。

  • おしゃべりが許されているのだから通話も許されるべき
  • 海外や日本のある地方では携帯使用が問題視されない

一方で禁止派は、

  • マナー違反
  • ペースメーカーへの影響
  • 不快感

を根拠としている。

なぜ電車内での通話が不快なのか

鉄道会社へは他人の携帯電話使用が迷惑であるという苦情が多い。どうやら一部の人は他人が携帯電話を使用することが不快らしい。

なぜ、車内での通話が不快なのだろうか。社会学者の吉見俊哉は、電車内の空間とは異なる異質なリアリティを通話者が車内に持ち込むから、と説明している。

通勤電車やエレベータなど、閉鎖性の高い公共空間には、一般に「不関与の規範」が成立しています。人々は互いに口も聞かず、見知らぬ態度でいますが、これは場を共有していないのではなく、そのように無関心にふるまうという規範を共有しているのです。ところが携帯電話の会話を楽しむ人は、そうした場の共有という前提そのものにひびを入れます。

(吉見俊哉『メディア論』有斐閣 2004 p.209)

海外では携帯の使用が容認されているのに東京の交通機関では非難される。その理由は、日本の公共性が規制や共同意識の強制を伴って形成されてきたからではないか、と吉見は同書で述べている。

禁止しなくて良い

車内でも通話が出来たほうが便利だ。携帯電話の使用を鉄道会社に容認してもらいたい。もともとおしゃべりしている人がいるのだから、騒音の点では変わらない。後は公共性の問題だが、乗車する人々の意識を変えれば良い。海外と同様、場の定義づけさえ変われば、携帯電話の使用が非難される空間ではなくなる。

まずは鉄道会社が「携帯電話OK」とアナウンスすればよい。一時期苦情が来るが、時期に携帯電話使用が当たり前になる。禁止していても使う人はいるし、禁止しているからこそ「マナー違反」だと感じて腹も立つのだ。

効果の無い「携帯電話使用禁止」を訴え続けるのではなく、使用を許す空気を作った方が、多くの人にとって気持ちが良いはずだ。

鉄道会社は車内での携帯電話使用を容認すべきである。

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